2000年10月13日〜14日
愛知県の豊田市美術館の黒田辰秋展と岐阜の銘木店と銘木市場の見学会を実施。16名が参加。
2000年の秋に約2ヶ月にわたり豊田市美術館で黒田辰秋展が開かれました。黒田辰秋(1904〜1982)は人間国宝だった木漆工芸家で、大規模な回顧展は没後の1983年以来17年ぶりであり、おそらく空前絶後になると思われましたので、その見学会を計画しました。合わせて岐阜の櫻井銘木店と相談して、銘木市場を見学することにして、日程を全国から銘木の集まる10月の銘木市の直前の日に決めました。
岐阜の宿の手配など小松氏がやつてくれましたが、気の毒に長期の入院で本人は参加できず、幹事を引き継いだ上野、宇田川両氏も不参加となり、山戸氏を幹事として行われました。
10月13日の朝は好天に恵まれ、各地区で乗り合わせた4台の車が駒ヶ岳S.A.に集結して、豊田へ向かいました。約2時間で豊田について昼食の後に美術館へ。
豊田市美術館はトヨタ自動車のお膝元のせいか、国立美術館並みの立派なもので、黒田辰秋展はその展示室の1室で開催されていた。会場は天井が高く、シナ合板を主体にした簡素な明るい構成で、力強い作品を際立たせている。大小合わせて約180点の作品は初期から晩年までを4つのセクションで構成されていて、京都進々堂のテーブルセットや黒沢明邸の家具セットなど代表作と言われる有名なもの他、柳宗悦の書斎机など初公開の作品も多数見る事ができました。
初期の民芸や李朝の影響の強いものから、徐々に独自の形を作り出していく変化も分かり、拭漆仕上げの木工から朱や黒の漆器、貝を使った螺鈿まで広範囲の仕事をしながらどの作品にも黒田辰秋の造形の凄みが感じられる。作品のすべてが実用品とはいってもこの迫力では一般家庭には納まりきらない。家具に合わせて家を作れと言ったという逸話も頷ける。
会場には制作図面も展示してあり、制作者としては興味深く、黒沢邸のイスに金具が使われていたなどの発見もあった。
美術館の学芸課長の青木氏の計らいで、手を触れる事の出来ない飾り棚の扉を特別に開けて見せてもらって、その仕組みに一同納得する場面もあった。
館内の現代美術など他の展示を見学の後、宿に向かうにはまだ時間があったので、車で
約15分のところにある豊田市民芸館の「木の民芸美」展を見学に向かう。ガイドが道を間違えてタイムロスをしたもののなんとか閉館前に間に合った。館内には各地の箪笥や、木彫仏が展示してあった。
それから岐阜へ向かい、途中で車列が離れて心配したが、ケイタイやカーナビを駆使して全車無事に岐阜長良川温泉の宿に到着。鵜飼いの長良川を見ながら大浴場で汗を流して、宴会場で夕食となる。夜の部で張り切るメンバーは物足りなくて宿の外へ繰り出すが、岐阜の盛り場、柳ケ瀬のネオンは遠くて断念したようだ。
14日朝はまず宿から歩ける近さにある櫻井銘木店へと向かう。欅を主に栗、栃、一位、杉、桑、榧などの銘木が所狭しと置いてある。銘木業界では日本の中心の岐阜を代表する店だけあって値段もいいけど、物もいいものが並ぶ。銘木の欅の8割、栗の9割は岐阜に集まるといわれている。兄で仕入れ担当の彰一郎氏、弟で販売担当の弘二氏、それぞれの木の話は尽きず、見て聞いている内に、お昼になってしまう。近くのレストランへ移動するが、全員の分を櫻井氏に払っていただき恐縮する。
長良川に沿って土手道を走り、銘木市場へ向かう。近くの銘木店で欅の太い角材(450×600×3500)を見せてもらうが、信じられないほど木目がまっすぐで赤みの強いもので、本マグロの大トロのようなものだと語り合った。
毎月1回の銘木市の直前の市場には全国から多くの銘木が集まり、運動場のような広さの土場には直径2m長さ8mを超えるような太い丸太もおかれ、体育館のような倉庫には数えきれないほどの板が立ち並んでいた。欅がほとんどで、最初は一つ一つ見ていくが、余りの多さに途中からいい加減になってしまう。川に埋もれていた神代木の丸太も初めて見たが、表面は干割れのように激しく割れていた。櫻井氏の話では10月の銘木市は特に質も高く量も多いとのことでした。
予定を無事に終えて長野へ向かって帰路につきました。お世話になった関係者のみなさんに感謝。
黒田辰秋展と櫻井銘木店については、最新の手づくり木工事典46号にもそれぞれ紹介されているので、御覧下さい。
(文責、谷進一郎) |