信州木工会 木工アーカイブス | |
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信濃美術館「民芸とモダンデザイン展」・松代文武学校ギャラリー展 見学会レポート |
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2004年9月24日(金) 10:00 〜 17:30 参加者 谷・大橋・蛭川・丸山・諏訪
信濃美術館「民芸とモダンデザイン展」主な内容 集合場所の館内ホールには木喰上人の仏像が展示されていた。 順路に沿って会場に入ると、会場は3つのブロックに別れて展示されていた。 第一の会場、入り口には、民芸運動の起こりとその趣旨などの解説パネルがあり、展示内容も民芸運動の背景にあった李朝の陶磁器をはじめ家具・調度品・屏風絵・民画等が展示されていた。 第二の会場は、日本国内各地域の郷土的品物(民芸という言葉がなかった当時の表現)が展示されていた。南は沖縄から北は北海道アイヌ民族の品々まで、民族色豊かな沖縄の骨壺から、生活の器として使われていた陶磁器・囲炉裏の自在掛けや看板・型染めの衣類から海藻で編んだ蓑など、生活の実用的品々が展示されていた。 第三の会場に入ると、民芸運動を発展させた巨匠達の作品と現代の「モダンデザイン展」が抱き合わせになって展示されていた。 富本憲吉(陶磁器)・バーナード、リーチ(陶器)・河井寛次郎(陶器)・濱田庄司(陶器)・芹沢けい介(型染め)・棟方志功(版画)・黒田辰秋(木漆工)彼らが情熱を傾けた民芸運動の熱気がただようその奥のコーナーに、モダンデザイン展として今も尚市場で活躍している椅子が幾つか展示されていて、座り心地を試すことが出来た。松本民芸家具のライティング・ビューローも展示されていた。 「柳宗悦の民芸と巨匠たち展」パンフレットより 民芸という言葉は1925年(大正14年)12月木喰仏調査のため和歌山を旅行した柳、河井、濱田の三人が車中で考えたと云われている。『「民」は民衆、「芸」は工芸それ故「民衆的工芸」の略として「民芸」の二字を選びました。名もない工人達が作る実用的工芸品である意味を示唆したく「民衆的工芸」の意味を取って「民芸」と呼ぶに至りました。』と日本民芸館設立の趣意書に記されていた。
松代文武学校「ギャラリー展」 会場となった松代文武学校について 真田藩士の学問武芸を奨励するために、藩校として建設された。嘉永6年(1853)に建物が完成、安政2年に開校した。文武学校の施設は、文学所・御役所・教室棟・剣術所・柔術所・弓術所・槍術所・文庫蔵・番所・門等々の建築物からなっている。 今回の「ギャラリー展」はこれらの施設を使って、県内外のギャラリーがそれぞれに取り扱っているクラフト作家、アート作家と共に、その作品を展示即売していた。 展示内容は陶磁器・和紙・ガラス・革・染色・織り・漆器・ステンドグラス・灯り・骨董など多彩なジャンルがそれぞれに相応しい施設を使って「歴史ある空間」を演出していた。 クラフト作家とは云っても表現にウエイトがあって、アート作品としての展示が多かったと思う。 中でも私の印象に残ったものは「灯り」で、発光ダイオードを使って木の葉の葉脈を美しく映し出していた。革のオブジェで「冬虫夏草とハチ」や「コガネムシ」等まるで標本のように精密に作られていて質感までもリアルに感じるほどだった。 所感 私は民芸という言葉のあることを、おぼろげに知ってはいたものの、柳宗悦の民芸運動から生まれたことを知らなかった。この度の見学会を通して、柳宗悦の美しさに対する意識の奥深さに驚きと共に共感を覚えた。 今日に至る近代の美術史に多大な影響を残し、今も尚その美しさに対する意識は様々な分野に継承されているのだと思います。信濃美術館が、独自に取り組んだ「モダンデザイン展」はその事を伝えようとしていたと思います。 しかも今回、松代文武学校の「ギャラリー展」を見学して思うことは、柳宗悦が民芸の趣旨の中に述べているように、「無名の工人達が作る生活の用具の中に真の美がある」としたその方向が後に、作家としての一品一作家の表現活動と工業デザインの方向に別れていった、その両極をかいま見たように思います。 民芸運動が起こってから80年余り経った今、当時の民芸運動を発展させていった巨匠たちの作品を見て、心に響き伝わってくるものが何なのか、機会が在ればじっくりと眺めて観たいと思いました。 尚民芸館のホームページアドレスを紹介しておきますので興味のある方はアクセスして下さい。 |
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